渋谷のみなさん、喫煙所撤去ってさすがにやりすぎだと思いませんか??
はじめに
まず初めに前提として断っておきたいのは、自分は愛煙家ってほどでもないですがごく一般的な喫煙者です。そのため、この記事は喫煙者の喫煙権を主張するものであり、近年の禁煙ファシズムを批判するものでもあります。嫌煙活動を頑張っている方にとっては少し耳が痛い話になるかもしれませんがご了承下さい。
2016年11月1日喫煙所撤去@渋谷
この前久しぶりに渋谷に行ってびっくりしたんですが、なんと、ハチ公前と交番の前の喫煙所が2つともなくなっていました。どうやら2016年11月1日に撤去されたらしいので、まだあの後に渋谷にいらしてない方は要注意です。
閉鎖された経緯は、どうやら喫煙者の喫煙所でのマナーが問題だったということのようです。
喫煙者の皆さん、吸殻はきちんと灰皿に捨てましょう。でないとこれからもどんどん喫煙所を撤去されていってしまうに違いありません。
たしかに、ハチ公前の喫煙所は利用人数が多いため中々中のほうまで行けず、喫煙所からはみ出して喫煙するというのが日常的になっていたかもしれません。しかし、だからといって喫煙所を撤去するなどということはおかしな話ではありませんか?
喫煙所を撤去するということは喫煙者に煙草を吸うなと言っていることと同じです。親でも彼女でもない人に、なぜそんなことを言われなくてはいけないのでしょうか?
ハチ公喫煙所前で365日ありがとうと叫び続けた男性
ネットでこんな記事を見つけました。込山洋さんという方らしいです。
渋谷に来る外国人観光客がハチ公に来た時に、煙草の吸殻が大量に落ちているのをみてがっかりしないようにとボランティアで喫煙所の清掃活動などをしている方のようです。
たしかに今思えばこんな感じの人いたかもしれない・・・笑
注目したいのは込山さんの手段です。込山さんのやったことは、喫煙所の利用者に「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます。いってらっしゃーい」と声をかけるということでした。トイレの張り紙と同じ効果ですね。
「ほら!そこの君!喫煙所から外に出ちゃだめでしょ!!」というのとどちらが効果的なのか、考えなくてもわかりますよね?
もちろん喫煙所を汚くしているのは利用している喫煙者です。汚したのなら本来なら掃除も自分たちでするべきだと思います。しかし、嫌煙活動家の方たちがやっているのは前者と後者どっちなんでしょうか?後者の方が圧倒的に多いような気がしてなりません。
なんのために嫌煙活動をしているんでしょうか?
煙草の有害性を訴えるため?受動喫煙を減らすため?
嫌煙活動家の方、もしこの記事を見ている方がいらしたら教えてください。
いずれにせよ、目的を達成するための手段を間違えないでください。
喫煙所を撤去してどうななるのか、路上喫煙が増えるだけです。結果は明らかです。
もしかして、この喫煙所を撤去するための税金ってたばこ税から出てるんですかね?笑まーたぶんそうなんでしょうけど
そもそも、この禁煙ファシズムはどこから始まったのか
まず先ほどからたまに使っている禁煙ファシズムという言葉についてですが、これは
こちらの記事からの引用であることをはじめに断っておきます。
ここからは僕なりの解釈ですが、ファシズムとはここでは簡単に、ある思想を持った人々が結束しその他の思想を弾圧し制圧すること、とします。
もちろん禁煙ファシズムにおいて、ある思想を持った人とは嫌煙家のことを指します。ここで注意してほしいのは嫌煙家と非喫煙者は別だということです。非喫煙者の中にも喫煙者のことを理解し、喫煙の自由を認めてくれる方も中にはいるでしょうが、ここでは非喫煙者とは自分に迷惑がかからないならどちらでもいいという立場をとっている人のことです。
単刀直入に言おう、一番はじめに禁煙ファシズムを始めたのはWHOなのでは?
WHO事務局長は「たばこは人殺し」と断言しています。
ここで一つ前提として理解してほしいのは、キリスト教徒にはそもそも、煙草吸うこと自体が罪であるという概念があります。自由の国アメリカでさえその意識は根強いそうです。
たしかに煙草は体に悪いです。世界中の人が煙草をやめれば、肺がんで死亡する人は減るかもしれません。そういう意味ではWHOが禁煙を推進することは間違ってはいません。
しかし、それに乗っかってこの情報を流しているのは誰なのか、そして、禁煙を煽ることによって得するのは誰なのか、一度冷静になって考えてみてください。僕にはその人達が自分の利益のために民衆を誘導しているようにしか思えません。なぜならそもそも煙草は誰にも迷惑をかけないのですから。
煙草を吸うことは本当に悪なのでしょうか?
2020年の東京オリンピックに向けての準備??
一つ主張としてというか政策として正しいと思ったのは、2020年の東京オリンピックに向けて受動喫煙を減らさなければならないという事実があるというのは理解しました。
他の国の受動喫煙事情がどの程度なのかは詳しくは知りませんが、受動喫煙というのはしていて気持ちのいいものではありません。喫煙者でさえそうなのだから、非喫煙者にとってはそれだけで喫煙者のことが嫌いになってもおかしくはないでしょう。
日本では東京なら路上喫煙というのは珍しいことではないですから、それをなくしたいという気持ちはわかるのですが、先ほども言ったと通り目的を達成するための手段を間違わないでほしいです。
路上喫煙を防止したいなら、路上喫煙がない街を参考にして街づくりをすればいいと思います。
僕のおすすめは神楽坂です。
神楽坂は歩いていて吸殻の一つ落ちていません。
喫煙者が路上喫煙をするとき、大抵のひとは路地裏に入ったりして他のひとが煙草を吸った形跡を見つけてから、ここならすっていいかなと少し安心してから煙草に火をつけます。僕の理想としては、路地裏にこっそりとおしゃれな灰皿でも置いといてくれるとちょっと嬉しいんですが。
そもそも僕が神楽坂を歩いたときは、街並みの綺麗さにびっくりしてまず歩行喫煙なんてしようとも思わなかったですし、神楽坂では煙草が吸いたければカフェに入るのが正解なのです。
理想的な喫煙所
東京オリンピック対策にもつながる喫煙所問題の一つの解決策として、昔から外国人観光客が多く訪れる街である京都市の取り組みについて取り上げておきたいと思います。
以下はその一部分の引用です。
「喫煙所については、吸う方にとっては『もっと設置してほしい』との要望がありますし、吸わない方にとっては喫煙スペースを設けること自体に反対の声が出るなど多様な意見をいただきます。しかし、京都市としてはマナーを守りながら喫煙者も非喫煙者も気持ちよく過ごしていただけるよう街の環境づくりを進めていく考えです」
もちろん京都でも路上喫煙の問題が昔からあり、それを規制する流れがありました。しかし、そこはさすが京都というべきか京都では喫煙者にも非喫煙者にも同時に配慮するというなんとも日本人らしい結論を出したのです。
京都ではこうした取り組みが2015年から既に行われています。まさに僕がさっき書いた路地裏の喫煙所のように、非喫煙者にも配慮しつつ喫煙者の人権も尊重するという考えが明確にわかる喫煙所が京都にはたくさんあるそうです。
結果的に今では、路地裏の喫煙所で外国人観光客が日本と話して道を聞いたりするという文化が生まれているそうです。
東京オリンピックが掲げている「おもてなし」の精神ですが、やはりお手本にすべきは京都のようですね。
たばこの哲学
煙草は百害あって一利なしだとよく言いますが、本当に一利もなければ吸う人なんて誰もいません。
人間にとっての一番の病気の源、それはストレスです。
煙草というのは、そのストレスと戦うための慰安ツールだと僕は思っています。
しかもそれは、他人には迷惑の掛けないものです。お酒なんかよりよっぽどましですよ。
たばこを吸って、気持ちをスッと切り替える。
何も解決しないけど、一歩前に進める。
たばこを吸わない人にはわからないかもしれませんが、たばこってそういうものです。
そして煙草吸うというのは、自分の弱さを認めることでもあります。煙草を吸い続けられるひとは、自分の弱さを認める強さを持っている人です。だから僕は煙草を吸っている老人をみると尊敬します。
もちろん世の中には煙草を必要としない、ストレスフリーな幸せな人も中にはいるでしょう。
でもぼくは、そういう人を強い人だとは思いません。たぶんその人たちは今まで運よく幸せな人生を送れていただけなのです。
自分の強さと弱さを認めることができてやっと、きちんと相手と向き合うことができると思います。煙草というのはそういうコミュニケーションツールであって、人生に必要不可欠なものです。
僕が煙草をやめる時、それは世界からストレスがなくなる時です。
もちろん、体質的に煙草が合わないという人も中にはいるのはわかってます。そういう人はもちろん無理して吸う必要はないです。
しかし、わかって欲しいのはたばこを吸うことは悪いことなどではなく、むしろ人として自然なことなのです。
たばこは人殺し、という言葉はあまりにも悲しすぎます。
最後に
最後に日本とたばこの関わり方についてちょっと書きたいと思います。
日本にたばこが入ってきたのは16世紀、江戸時代にはいる前に南蛮貿易によってポルトガルよりもたらされました。異国のものに興味深々の日本人に煙草はすぐに流行しました。
そこで、賢い農家はたばこの栽培を始めるため、米を作るのをやめてしまいました。それをみた江戸幕府はたばこの禁令を出しましたが、民衆はおかまいなしにたばこを栽培続け、結局幕府も咎めることを諦め嗜好品として庶民に親しまれ独自の喫煙文化を形成していったそうです。
余談ですが、一番はじめに煙草を世界に広めたのは、コロンブスがアメリカ大陸で先住民が吸っていた煙草を持ち帰ったのがきっかけです。そのときに同時に唐辛子と梅毒も一緒に持ち帰ったそうです。
日本人にはもともとこのような、異国のものなど自分たちとは異質なものでも拒絶せず受け入れて自分たちのものにするという文化があります。
たとえ煙草が悪だとしても、それを許容し、共存していくというのが日本の精神というものなのではないでしょうか?
話はもとに戻りますが、渋谷の喫煙所は撤去されました。これは喫煙者を社会の隅に追いやる行為であり、喫煙者を排除しようとする意思を感じざるをえません。
喫煙者の方も、非喫煙者の方も、日本人として一度考えてみていただけると幸いです。
安易に禁煙を促すことがもしかすると悪い方向に無意識に加担しているかもしれません。